【文章講座】末尾(語尾)の工夫の仕方、小技、テクニック

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文章の練習をしていると、少し慣れてきたころに、語尾が単調になるという悩みが出てきます。日本語は語尾が豊富とは言えない言語です。放っておくと、だ、である、です、ますの連続になってしまうのは、ある意味で仕方のないことでもあります。しかし、対処法がないわけではありません。工夫次第で文章表現を豊かにできます。今回は工夫の仕方について、すぐに応用できるテクニックを5つ紹介します。

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体言止め

文章の終わりを体言(名詞)で止める手法です。語尾に変化をつける代表的な手法で、さまざまな文章で頻繁に使用されています。ここで「さまざまな文章」と断りを入れたのは、文章によっては語尾の変化が歓迎されないまたは不要ということがあるからです。歓迎されないまたは不要の文章の代表例は、ビジネス文章です。反対に、広告文(コピー)、エッセイなどは語尾に変化をつけることが多くあります。学校に提出する作文・小論文は、変化を過剰につけないほうが無難です。なぜなら、変化のつけ方によっては、間違いと見なされることもあるからです。特に後に解説する「常体・敬体を混ぜる」は学校教育上は基本的にバツなので要注意です。

上記のように語尾の変化が不可の場合もあるのですが、体言止めはどんな文章で用いることができます。ビジネス文章で使ってもそれほど違和感はありません。語尾を体言にするだけなので使い方も簡単。和語を漢語に変えればいいだけです。具体的には、「考える→考慮」「思う→思料・思考」「言う→発言」「始める→開始」「運ぶ→運搬」「教える→伝授・指導」などです。始めるはスタートにも変換でき、外来語も含めれば使用範囲はかなり広がります。ただし、簡単過ぎるがゆえに使いすぎてしまう傾向があります。また、体言止めは時制(過去・現在・未来)や態(能動態・受動態)をごまかす意味合いもあるので、使い過ぎはさけるべきです。例えば、以下の文章を見てください。

昨日は運動会が開催。私はリレーの選手に選抜。多くの応援を受け、全力疾走。しかし、結果は二位。一日たった今でも、悔しい気持ちが残存。

体言止めを使用せず書き直せば以下のようになります。

昨日は運動会が開かれた。私はリレーの選手に選ばれていた。多くの応援を受け、全力で走った。しかし、結果は二位だった。一日たった今でも、悔しい気持ちが残る。

どちらがいいかはいったん横に置いておいて、体言止めを多用した文章は、時制と態がわかりづらくなっています。また、漢語を多用する関係で、文章が硬くなりがちです。体言止めは、語尾がどうしても単調になった時、5文前後に1回使うという程度にとどめるのがいいでしょう。

常体・敬体を混ぜる

常体は「だ・である調」、敬体は「です・ます調」です。通常はどちらか一方で書くのですが、これを時折まぜこみます。といっても、常体に敬体を入れ込むことはほとんどありません。敬体に常体を入れ込みます。つまり、「です・ます」調で書いているところに、タイミングを見計らって「だ・である」調を使うのです。そうすると、文章が引き締まる印象を受けます。これも使いやすい手法なのでよく見かけるはずです。例文を見てみましょう。

北海道を訪れたのは、一昨年のことです。札幌の観光地をいくつか回った後、洞爺湖にまで足を延ばしました。広大な景色が私の胸を打つ。しばらくの間、時を忘れてその景色に見入っていました。

上記は基本的には敬体の流れですが、「私の胸を打つ」で常体を差し込んでいます。こうすることで、文章にキレやスピード感が生まれます。ただし、常体は常体で、敬体は敬体一貫させるのが本来の書き方です。常体と敬体を混ぜるのはイレギュラーで誤りと見なされることもあります。上記にもある通り、学校教育ではバツなので、学校関連をはじめ、硬さが要求される場面では使用を避けるべきでしょう。また、ビジネス文章でもこうした変化は不要です。

現在形の終止形を用いる

常体で書いている場合に有効な手段として、現在形の終止形を用いるという手法があります。通常、ある出来事を記述する場合は、「~た」で終わることが多くなります。というのも、過去を表すときは基本的には「動詞+助動詞の『た』」となるので、文章の末尾が「た」ばかりになってしまうのです。一方、現在形の終止形は意外と語尾が豊富です。パッと思いつく動詞を並べても「編む」「書く」「指す」「立つ」「寝る」などがあり、語尾が豊富なのがわかるでしょう。これを利用しようというわけです。例文を見てみましょう。

昨日は雨が降っていた。外には行けなかったので、読みかけの本を手に取った。思いのほか面白く、夢中になって読み進めた。ページをめくる手に勢いが付く。ラストまで一気に読み切った。

末尾がすべて「た」になりそうなところを回避して一つ「く」を織り交ぜました。変化が付くと同時に、現在形にすることで臨場感が増したと思います。なお、実は「常体・敬体を混ぜる」の例文も、過去形と現在形を混ぜています。「胸を打つ」は「胸を打った」でも変化を付けられるのですが、語尾がテーマですので「打つ」にしたのでした。

また、同じような用法に、「形容詞・形容動詞の終止形を使う」というものもあります。語尾が「い」と「だ」しかないので、それほど多くの変化を付けられるわけではありませんが、変化をつける一つの手段として覚えておくといいと思います。

途中でぶつ切る

時折、「……が。」で切れている文章を見かけることはないでしょうか。例えば、「その時、一匹の虎が。」みたいな感じです。文章の流れで「現れた」などが省略されていると容易に想像できるので、容易に想像できるところは削ってしまおうということです。他にも「……も。」と切ることが多くあります。「さらにAくんも」みたいな感じですね。これも前の文章の流れで「Aくんも」に対する述語(部)が容易に想像できるから省略し、語尾に変化を持たせようとうことです。具体的には「Aさんは笑った。Bさんも笑った。さらにAくんも。」という文章が考えられます。このように何度も同じ言葉が出てくるのを避ける意味合いで使うと綺麗に決まるのですが、ぶつ切り感は否めません。好みにもよると思いますが、読むリズムが崩れてしまいます。基本的には使用を控えたほうがいいでしょう(ただ、この切り方好きな人が多いんですよね、不思議と)。

口語体を用いる

語尾に「ね」や「よ」、「ぜ」を付けたり、「とか」「たり」「なって」「思って」などで文を終わらせたりします。あたかも話している感じが出るので、インタビュー文を書く時などに有効です。ただし、インタビュー文でも「ね」や「よ」をまったく使わないことがあります。砕けたイメージになるので、硬いテーマを扱う時は使用は避けるべきでしょう。

インタビュー文に限らず、カジュアルな文章を書く時に使えると考えたらいいと思います。エンターテインメント性を高くしたい時にのみ使用しましょう。ただし、多用すると文章が軽くなり過ぎるのでその点は要注意です。また、「とか」「たり」「なって」「思って」などで文を終わらせるには慣れが必要です。技術的にはそれほど難易度は高くありませんが、意外と決まらず、期待していたほどの効果が得にくいことが多いのです。上記の「途中でぶつ切る」と同様に、尻切れトンボで読みにくいだけになりがちですので、無理して使わないほうがいいと思います。

文章の良し悪しと語尾の豊富さは必ずしも一致しない。

最後に、語尾の豊富さと文章の良し悪しは必ずしも一致しないということをお伝えします。まるでちゃぶ台返しのようで恐縮なのですが、事実なので言ってしまいます。語尾より文章の中身が大事なのは言うまでもありませんし、語尾が豊富だからといって読みやすいとも限りません。それどころか、何度か指摘したように、語尾に工夫を重ねすぎて、なんだか読みにくい、書き慣れていないのかな、という印象を与えてしまう文章も存在します。反対に、語尾は一定なのに読みやすい文章が多くあるのも事実です。語尾が単調だから変化を付けようするのはとてもいい試みです。しかし、その工夫が過剰になり逆効果となっては元も子もありません。

実のところ、語尾に必要以上の興味を注ぐのは、文章に妙な一家言のある人、駆け出しのライター、不勉強な編集者と、だいたい相場が決まっています。そういう人たちは、語尾「だけ」を見て文章の良し悪しを判断するところがあり、過剰に語尾に変化を付けようとします。しかし、文章の全体の流れに目を向けると、変に語尾をいじらないほうがいいというケースが少なからずあるのです。

また、そもそも内容が薄かったり、全体の流れの悪かったりする文章を、語尾に変化をつけることでごまかそうすることも往々にしてあります。その場合は、内容を見直し構成を直さない限り、良くなりません。文章をより良くしようという思いはとても大事です。ただ、小手先のテクニックに走り過ぎると本質的な文章力が伸びにくくなるということもあるので、お伝えさせていただきました。参考までに。

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