
文房具雑誌を見ていると、よくシステム手帳が取り上げられます。万年筆とはいかにも相性が良さそうです。特に革のシステム手帳に大きな魅力を感じ、思い切ってちょっと値の張るA5サイズの手帳を手に入れました。とても嬉しかったですし、こんな使い方をしようとか、こういうシーンで使ったら絵になるなとか想像しました。しかし!待っていたのは輝かしい手帳ライフとはいきませんでした。「何を書けばいいかわからない」「重くて持ち運べない」という現実に直面したのです。結局、相も変わらず普通のノートや手帳を愛用しているわけです。システム手帳の「正解」とは、一体どこにあるのでしょうか。迷走を続ける中で、何となく見えてきたひとつの答えを綴ってみたいと思います。
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目次
なぜ「憧れ」は埃をかぶってしまったのか
何気ない瞬間に机から視線を上げ本棚のほうに視線をやると、システム手帳が静かに眠っているのが目に入ってきます。すっかり開くことのなくなった、大判の国語辞典、英和辞典と肩を並べ、A5のシステム手帳がほこりをかぶっています。何度も銀座の伊東屋に足を運び、高揚感丸出しで購入した、ウン数円のA5システム手帳。もちろん、革製。必要だろうリフィルを揃え、今は硬いけど使い込んだら味が出るんだろうな、などと夢想したものです。
ところが、実際にはほぼ「お蔵入り」状態。机の上で現役で活躍しているのは、A3とB5のノート、普段使いの薄っぺらい手帳。さらに、皮肉なことにセールのワゴンで見つけた500円のバイブルサイズのシステム手帳も、ノートに比べて使用頻度は劣るものの、時々使っています。
なぜ、見た目に美しく、高級感あふれるシステム手帳が埃をかぶり、万年筆とはいまいち釣り合わないリーズナブルな文具ばかりを愛用してしまのか。単なる庶民感覚でだけでは片付けられないこの問題に、今日は真剣に向き合ってみたいと思います。
なぜ私はシステム手帳を使いこなせないのか?【挫折理由の解剖】
リーズナブルで日常遣いの文具の有用性が高いのは、当たり前と言えば当たり前です。日常遣いと言われるくらいなのだから、それは当然に日常的に使われます。ただ、なぜ憧れて購入したはずのA5のシステム手帳が、短期のうちに使われなくなったのか。自分なりに理由を分析してみました。大きく3つあります。
1つ目は、何でもできる「自由さ」が、逆に不自由になること。リフィルを組み合わせ、無限の可能性があるのがシステム手帳の魅力の一つです。しかし、明確な目的が定まっていないと「何を書けばいいか分からない」状態に陥ってしまいます。
2つ目は、「重さ・大きさ・リング」という携帯性の壁です。特にA5サイズは持ち運ぶには気合が必要で、書くときにリングが手に当たるのも、地味ながら大きなストレスでした。もちろん、購入前からわかっていたことですが、一二度試しに使ってみるのと、継続的に使うのではワケが違います。安きに流れる、ではないですが、ストレスがなく便利なほうを使いたくなるのが人情です。
3つ目は、万年筆との相性。せっかくなら万年筆で書きたいのに、リフィルはインクの裏抜けやにじみが目立ちます。私の感覚としては、普通のノートより裏抜けします。ノートですらそれほど気にならないのだから大丈夫だろうと安易に考えていましたが、どうもそうでもないらしい。これは盲点であり、ちょっと困ってしまいました。
以上が使わなくなった主な理由です。とても納得できる反面、なんとなく腑に落ちないところがありました。いずれも事前の理解があったことばかりだからです。それでさらに思考を巡らせてみると、もう一つ重大な要因があったのです。それは、値段がもたらす「ちゃんと使わなければ」という一種の縛り付けでした。先に挙げた3つが物理的要因だとしたら、これは心理的要因です。つまり、数万円もしたのだから、何か良いことを書こう。単なるメモ書きなどに使ってはもったいない。何度も見返したくなるような、そうした素晴らしいひらめきや教訓を綴るためにこの手帳はあるのだ、と自分を縛り付けていたような気がします。無意識のプレッシャーが、手帳を開くハードルを高めていたのです。
非常に庶民的ですが、実はこれは重要なポイントなのではないでしょうか。事実、500円のセール品だったバイブルサイズのシステム手帳は、何を書いても良いし、汚しても良いし、多少雑に扱っても良いしと、気楽に使っていました。これまで使っていたノートや手帳の代替や延長に過ぎなかったので、心理的なプレッシャーはほとんどなかったのですね
そもそもシステム手帳とは?【基本の「き」をおさらい】
ここで少し、個人的な悩みから離れて、システム手帳そのものについて客観的に整理してみます。
■システム手帳のメリット
・リフィル(中の紙)を自由に追加・削除・並べ替えできるカスタマイズ性の高さ。
・スケジュール、メモ、ToDoリストなど、複数の機能を一冊にまとめられる。
・バインダー本体は革などの丈夫な素材が多く、長く使える。
■システム手帳のデメリット
・リングがあるため、同じサイズのノートより重く、かさばる。
・書くときにリングが手に当たることがある。
・バインダーやリフィルなど、初期投資や維持費(修理費)がかかる。
■代表的なサイズの種類
・A5サイズ:たっぷり書ける大判サイズ。自宅や職場での据え置き利用に向いています。
・バイブルサイズ:携帯性と筆記量のバランスが良い定番サイズ。
・ミニ6サイズ、M5(マイクロ5)サイズ:さらに携帯性を重視したコンパクトなサイズ。メモやタスク管理に特化したい人向けです。
こうした基本的な特徴を改めて見ると、私がA5サイズを持て余し、安価なバイブルサイズを手に取りがちな理由も、少し客観的に見えてくる気がします。
「そうだ、『情報の保管庫』にすればいいじゃないか!」
重くて持ち運べないA5手帳の使い道として、多くの人が行き着く「自宅に据え置いて、あらゆる情報を一元管理する」という使い方。私もこの「情報の保管庫」計画に、一度は光明を見出しました。
しかし、すぐに冷静な結論に達してしまいます。
「ただ書くならノートで十分」「情報蓄積ならPCやスマホを使えば良い」
その通りでした。リングが邪魔にならない分、ノートの方が思考を遮られずに書き続けられます。検索性、編集のしやすさ、容量、どれをとってもデジタルの圧勝です。WordやExcelを前に、「効率」や「利便性」を土俵にした時点で、アナログ手帳に勝ち目はありません。私は再び、振り出しに戻ってしまったのです。
「効率」の外側へ。システム手帳と「改めて」向き合うための視点
A5の革製のシステム手帳をこれまでの道具、つまりノートや手帳、あるいはPCの代替や延長と考えるのはやめよう。まったく別物として眺めてみてはどうか。そう考えた時、新しい視界が開けました。
システム手帳は、そもそも「効率化ツール」でもなければ「価値ある情報を補完する場所」でもないのかもしれません。それは「万年筆」と似たところがあります。つまり、ある意味非効率で、手間がかかる。だけど、だからこそ完全な「趣味の道具」として見なすことができる。
この視点に立つと、新たな手帳の役割に気づかされます。
A5手帳を「書く時間」もっと言えば手帳を「手に取る時間」そのものを味わうために、あえて利便性を手放す。「少し贅沢な時間」を楽しむためのアイテムと位置づけるのです。例えば、名言や物語の冒頭を丁寧に書き写してみたり、日記をつけてみたり、時には絵をかいてみたり、という使い方が考えられます。
おそらく、多くの手帳愛好家はこうした使い方をしているのではないでしょうか。手帳が好き、の前に、書くことが好き、贅沢な時間を生み出したい、という思いがあるのだと考えることができます。
さらに私はもう一歩踏み込んでみました。つまり、「書く」という物理的現実からも解放される。手帳を開いているのだから書かなければと思った瞬間にプレッシャーが生まれます。そのプレッシャーすら感じない時間を手帳と共に過ごすのです。
【結論】システム手帳との付き合い方(2025年秋 ver.)
迷走の末、私は高級A5システム手帳と、次のように付き合っていくことに決めました。
「週末の夜、コーヒーを飲みながら過ごす時の友」として。効率、ビジネス、自己啓発などの視点は一旦横に置きます。コーヒーを淹れ、システム手帳を開き、万年筆を手に持ちます。兼好法師ではないですが、心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります。いえ、何も書けなくても良いのです。ただ、コーヒーを飲んでぼうっとしている。
現代の人たちは「何もしない」時間を過ごすのがものすごく苦手です。効率や費用対効果の波に侵されまくっていますから、歩いたりジョギングしたりする時は音楽やオーディオブックを聞き、トイレに行くときもスマホを手放しません。何もない時間を非生産的、時間と無駄遣いと見なします。要するに、常に何かをするようにかり立たれ、何をしていなと落ち着かいないのです。そうした毎日を過ごしているのですから、何もしない時間があっても良いはず。手帳に何も書かないのは損だ、という発想も一旦は捨てる。書きたくなったら書けばよい。なんと贅沢なことでしょう。
その時、高級感は邪魔になりません。むしろとてもマッチします。安っぽいノートに向き合っていてもいまいち気分が高揚しませんが、高級感溢れるシステム手帳を前にし、さらに万年筆まで持っていると、自然と気持ちも満たされてきます。高価な手帳は「特別な時間」を演出する趣味の逸品です。妙なプレッシャーから解放され時に、真価を発揮するかもしれません。
あとがき
システム手帳の圧倒的な存在感と高級感は、いつしか私を「ちゃんと使わなければ」という呪縛で苦しめていました。しかし、「趣味の道具」として捉え直した時、いくばくかの明かりが見えてきました。もし、かつての私のように、買ったはいいものの使わずじまいになっているというケースに直面していたら、一度「手帳」という概念を捨ててみてはいかがでしょうか。趣味の道具として捉えてみると、また違った見え方がしてくるはずです。
皆さまはシステム手帳と、どのように付き合っているでしょうか。デジタル全盛のこの時代に、あえてシステム手帳を使う意味をどこに見出していますか。ぜひ、皆さんの葛藤や、編み出した活用術をコメントで教えていただけると嬉しいです。