【文章講座】書くヒント①何を書くかを「発見」する方法
文章講座 万年筆で書こうの表紙

何を書いて良いかわからず、真っ白な紙またはパソコンのディスプレイの前に啞然としている……。あなたもそうした状況を経験したことがあるかもしれません。数カ月に1回のペースで回ってくる会報や社内報の寄稿がイヤでイヤで仕方がないと嘆いているかもしれませんね。でも、これからはご安心を。何を書くかを「発見」する方法をお伝えしたいと思います。ぜひ書くヒントをつかんでください。本稿を通じ、よし書いてやろう、という気持ちになってくだされば幸いです。

発見の意義や具体的な方法について前編・後編の2回に分けて解説します。

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文章力は「発見力×構成力」。

そもそも文章(力)とは何か。これを考えてみます。辞書的な定義は「考えや気持ちを文字でかきあらわしたもの」「(文法)いくつかの分が集まって、一つのまとまった内容をあらわしたもの」(現代新国語辞典/三省堂)となっています。当然、これは正しいのですが、書く上でのヒントにはあまりなりません。

ここでは文章とは「『発見』と『構成』」だと捉えてください。発見力と構成力はそのまま文章力に直結します。つまり、「文章力=発見力×構成力」なのです。発見力とは何を書くかを見つける能力、テーマを探索する力、書くことを決められる力と言えます。一方、構成力は書くことを整理する力、何をどのような順番で書くかを決める力、効果的に文章を伝える力と言えるでしょう。

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「発見」があるからこそ、文章が書ける。

発見と構成はどちらも大事ですが、どちらがより大事かと問われれば、強いて言えば発見のほうでしょう。そして、能力を伸ばすのがより難しいのも発見のほうです。なぜか。発見がなければ文章を書くことそのものができないからです。発見力があれば、構成力がなくても、読みにくかろうが何だろうが、とにかく文章は書けます。構成力がないばっかりに言いたいことが伝わらないかもしれませんが、とりあえずの文章を仕上げられる可能性はかなり高いです(発見力を伸ばす方法は後述します。さらに後編でも紹介します)。

一方、構成力だけあっても発見力がなければ、文章は書けません。発見がないのに文章を書こうとするのは無理があります。発見がないのは、書きたいことがないのとほぼ同義だからです。それはそうですよね。発見力は「何を書くかを見つける能力」。発見力がないと最初の一歩が踏み出せません。

とはいえ、実のところ、書く仕事をしていても発見力がない人はけっこういます。冗談のような本当の話です。もっと違う言い方をするなら、発見力があまり必要とされない「ライター」の仕事もあるのです。と言いますか、実はけっこう多いです。また、既に触れたように、発見力を伸ばすのはなかなか困難です。何を書けばいいのかわからないと、最初の一文を書くのは職業としてライターをしていても苦労します。

発見するコツは「思いつく」より「思い出す」こと。

では、具体的に発見する方法を説明します。発見するといっても、世紀の大発見を求めているのではありません。そんな発見はそうそうできるものではありませんし、そんな発見を探していてはそれこそ書けなくなってしまいます。この場合、発見とは「自分なりの気づき」程度に捉えてもらえればと思います。

ポイントは「自分なりの」です。借り物ではなく、あくまで自分で考えた結果ということが大切です。借り物でもいいのですが、自分の頭でしっかりと消化できていない限りは、書くのに困難を感じるはずです。仮に書けても薄っぺらな内容になるでしょう。人間は日々、何かしらを考え思いながら生きています。だから、自分なりの気づきを「思いつく」より「思い出す」ことのほうが容易だし適切なのです。

しかしながら、簡単に思い出せるかと問われれば、実は簡単ではないことに気づかされます。あるテーマを与えられ、それについて自分なりの気づきを思い出そうとしても、思うようには出てこない。結局、思いつくだろうが思い出すだろうが難しいことには変わりないじゃないか、となるわけです。が、うまい解決策があります。ご紹介しましょう。

普段からメモを取る。

先ほど、人間は日々、何かしらを考え思っている、と伝えました。ということは、その思い付きをメモに取っておけばいいわけです。これで書くことがないと困ることは大幅に軽減されるでしょう。もちろん、思い付きのままでは文章になりません。思い付きを文章にするにはそれなりの大変さがありますが、それでも何の取っ掛かりもなく文章を書くのとでは大変さがまったく違います。場合によっては、単なる思い付きだが自分としては大きな発見だった。ぜひ多くの人に文章にして伝えたいという欲求も生まれます。ただ、その思い付きは日常生活の中で、あっという間に忘れさられます。こんな大事なことを忘れるはずがないと思っていても忘れます。だからこそ、メモを取るのが大事なのです。

具体的に文章にする際には、なぜそれを思ったか、その時何があったか、どのような状況だったかと思い出します。さらに、その思い付きを他のひとが聞いたらどう思うか、それが今後どうなるか、自分の人生や社会にどんな影響を与えるかなどと思いめぐらせて話を展開します。すると、文章のネタが集まって、一つのまとまった文章が完成されるのです。

仕事で書く文章と、自分から書く文章は異なる。

文章を執筆するこうした一連の工程はとても尊いものです。希少な体験と言えるかもしれません。自らを省みて自発的に文章を書くという行為を行う人は、あまりいないのではないでしょうか。世の中に文章はあふれていますが、その大部分が仕事やビジネスに必要だから書かれたものです。

ライターを生業にしている人が書く文章のほとんどは、基本的に予めテーマや読者などが決められています。その中で、材料集め(取材)をして、構成を練ります。多くの場合、テーマは細かく定められており、「こういうことを伝える内容にしてほしい」と注文されています(どのよような文章にするか決めることを企画と言い、自分で企画を立てることもあります)。このため、何もないところから書くのと比較すると書きやすくなるのです。さらに、〆切も設定されているので、焦燥に駆られて書き始めるケースも少なくありません。

内容に目を転ずると、書かれた文章は自分の文章には違いありませんが、そこに自分の思いや考えが反映されているかというと、答えはノーです。一部の著名人のコラムなどを除けば、書き手固有の思想めいたものは出来るだけ排除しようとするのが普通です。

「自分」の文章を書くのは尊く、貴重な体験。

一方で、誰に頼まれたわけでもなく書く文章は、内発的なモチベーションを土台にして、書き方も書く内容も〆切も自分が決めます。そうした中でもどうすれば人に読んでもらえるか、自分の思いを正確に誤解なく伝えられるか頭をひねります(だからこそ、書くのが難しいと感じるはずです)。そうして紡ぎ出された文章は尊く、書くという体験そのものもとても尊いものだと私は思います。

そんな文章は誰も読まないし、読みたくもないし価値もないと、断じられることもあります。残念ながら、誰も読まないし、読みたくもない、という部分は事実でしょう。ただ、それで価値がないと言い切れないと考えています。私自身「文章は読まれるために書く」と主張していますが、それは仕事やビジネスとして書くことを前提にした言葉という側面があります。読まれることを意識したほうが書きやすくなるということもあるのですが、あまりに意識して書きづらくなっては本末転倒です。少々矛盾する考えかもしれませんが、まず自分だけがわかればいいという気楽さを持って、自分を読者として書いてみる。読まれることを意識するのはまた次の段階でもいいかもしれません。

まとめ

文章(力)は「発見力×構成力」で決まります。書くベースとなるのは「発見」で、発見がないとそもそも文章を書き出すことは困難です。発見の一つのコツは思い出すことで、普段からメモを取ると文章執筆に入りやすくなります。文章を書くのは尊く貴重な体験です。ぜひ万年筆を手に書くことを楽しんでください。後編では発見の方法について、さらに深掘りしてお伝えします。非常に有力なテクニックもご紹介するのでご期待いただければ幸いです。

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