【文章講座】接続詞の使い方。文書を読みやすくする方法

今回は接続詞を取り上げたいと思います。接続詞は文章の欠かせない要素で、「しかし」「また」「なぜなら」など多くありますが、基本的な意味や使用法は知っていると思います。それにも関わらず、何となく使いにくさを感じているかもしれません。それというのも、「接続詞は極力使うな」とする声があるからではないでしょうか。一方で、「上手に使えば文章が引き締まる」という教えも同時にあり、いったいどういうことなのだと混乱してしまいます。使っていいのかダメのか、使うとすればいつなのか。解説していきます。

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接続詞はあってもなくてもいい?

日本語の接続詞はけっこう不思議な存在で、どういう時に使うのかがあまり明確に定められていません。ここでこの接続詞を使わなければ絶対にダメ、ということはほとんどなく、何となく感覚で使っていることも少なからずあるはずです。何となく使える最大の要因は、「接続詞がなくても意味が通じるから」でしょう。特に、接続詞のうち「だから、そこで、すると」などの順接、「そして、それに、しかも」などの添加は、あってもなくてもいいようなもので、これらの接続詞をカットしても、意味は十分に通じるはずです。

そして、この「あってもなくてもいい」ということが、「接続詞は使うな」という教えの一つの大きな根拠になっているのです。あってもなくてもいいのなら、敢えて使う必要もなく、文章にとって「余計なもの」とならないとも限りません。「使うな」とする主張があるのもうなずけるでしょう。

加えて、接続詞には文章を硬くする性質があります。これも「接続詞は使うな」という主張する大きな根拠です。実際、接続詞は使い過ぎると、文章は硬くなります。「したがって」「ゆえに」「もっとも」「すなわち」などの言葉が並ぶと、いかにも論文調で硬いと感じるはずです。「あってもなくてもいい」「使い過ぎると文章が硬くなる」――。この二つが、接続詞の使用を否定する、主な理由なのです。

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接続詞は使わないほうがいいのか

では、接続詞は使わないほうがいいのかというと、まったくそのようなことはありません。接続詞を使うと文章が硬くなるのだから、硬めの文章を書く時はむしろ接続詞は好ましい存在となります。硬めの文章とは、(小)論文やレポート、ビジネス文書全般と捉えればいいでしょう。これらの文章では、接続詞は必要不可欠となります。上記で接続詞の多用は論文調になると書きましたが、実際に論文で多く使われているので論文調になるのです。

また、接続詞によって文章が硬くなるとは、別の言い方をするなら、「論理性を帯びる」ということです。接続詞とは文字通り文章を「接続」する「詞(言葉)」ですので、文章をつなげ、論理展開をスムーズにします。ただし、接続詞は本来はくっつかないはずの文章を無理やりくっつける力を持っており、使用する上で注意が必要です。なぜなら、本当はスムーズな論理展開できていない文章を無理やりくっつけ、論理的に見せかけてしまうからです。

「したがって」「ゆえに」などと書かれると、前後の文がどうあれ、そういうものかなと思ってしまいがちではないでしょうか。このため、文の流れがスムーズではない時に、論理的だと見せかけるために接続詞を使うということが起こりがちです。サラッと読まれる分には多少の非論理性はバレませんが、しっかり読まれるとまずバレます。文章をちゃんと読んでもらいたい時は、ごまかそうとせず、しっかりと考えてきましょう。

もう一つ、接続詞を使う理由として「リズムを整える」ということが挙げられます。おそらく、文章を書いていて「ここに『そして』があればリズムが整う」などと感じることがあるでしょう。実はこの時が接続詞を使う際にもっとも悩ましいところかもしれません。はっきり使わなければいけないと決まっているのなら堂々と使いますが、前述した通り接続詞は多くの場合あってもなくてもいい存在なので、使っても使わなくてもいいわけで、とても悩みます。そこで提案があります。接続詞の使い方については、自分なりの方針(ガイドライン)を立てておくのはいかがでしょうか。自分なりの考えを持つことでいちいち悩まずにすみます。

接続詞の使用に関する、自分なりのガイドラインを作成する

前提として、接続詞の正しい意味や用法を知っていることは必要になります。ただ、それについては辞書やネットですぐに調べることができますので、ここではその解説は省きます。また、下記に掲げる接続詞の使用に関するガイドラインはあくまで一つの参考例です。自分なりのガイドラインまたはそれに類するものが既にあるのならそれに従えばいいですし、自分なりのアレンジを加えてもいいでしょう。

ガイドライン(参考)

◆(小)論文やレポート、ビジネス文書全般の論理性を求められる文章(以下レポートなど)では接続詞は使う。作文やエッセイ、広告文(コピー)などそれ以外の文章(以下エッセイなど)ではなるべく使わない。

◆レポートなどでも「そして」と「だから」はなるべく使わない。

◆レポートなどでは「ですので」「でも」など口語的な接続詞は使わない。

◆2~3文で繰り返しての接続詞の使用は控える。特に逆説(「しかし」など)を繰り返し使用した場合は、論理が破綻している可能性が高いから文を見直す。

◆100字200字など短い字数で書く場合は、接続詞は極力使わない。

ガイドラインは便宜上の決まりですので、とらわれすぎるのは良くありません。ガイドラインというと何だか偉そうですが、半分以上は自分の趣味や好みのようなものです。最終的には読み手にとって読みやすいかを優先します。また、「レポートなど」「エッセイなど」という分類はあくまでわかりやすさを重視した仮のもので、エッセイが非論理的でいいということではありません。その点は誤解なく!

接続詞は使うなという主張はどこから出てきたのか

社会人が日常的に書く文章は論理性を求められることが多いと思います。むしろ、作文やエッセイ、広告文(コピー)など論理性を求められない文章を書く機会は少ないのではないでしょうか。また、状況によってはエッセイでも論理性を求められることがあります。ということは、日常的に書く文章のほとんどは、接続詞を使う文章ということになります。それにも関わらず、「接続詞を使うな」という主張が一定の幅を利かせているのはなぜでしょうか。

あくまで私見ですが、この原因は新聞(記者)にあると考えています。なぜなら、あまり知られていないかもしれませんが、新聞記事は接続詞を使わない文章なのです。新聞記事はいかにも論理的で硬いイメージがあり、そのイメージからすると接続詞を使うほうが適しているように感じられます。しかし、実は新聞は読者層を幅広く設定しています。つまり、新聞記事は専門家のための文章ではなく、幅広く一般に向け書かれており、実態はともかく、中高生が読むことも想定しています。このため、なるべく硬くなることを避け、接続詞の使用も極力避けているのです。また、限られた紙面の中でできる限り多くの情報を伝えるという役割を担っていることも影響しているはずです。手元に新聞があるのなら、試しに読んでみてください。接続詞はほとんど見つけられないはずです。

とはいえ、新聞が接続詞を使わない媒体だとしても、それが何だという話なのですが、それだけに収まらないのは、新聞が文章業界(というものがあるかどうか不明ですが)に与える影響は決して小さくないからです。新聞記事が正しい文章の見本とされることは少なくないでしょう。加えて、新聞記者が執筆した文章の書き方の本は多数あり、文化センターなどで新聞記者が文章指導に当たることもあります。新聞記者は接続詞を使わないことを推奨すると考えられますので、接続詞は使わないほうがいいという考えが、本来の意図とは異なる意味合いで、広まったのだと推測できます。新聞記者も「絶対に接続詞を使うな」とは言わないでしょうし、論文指導をする場合は「接続詞の使用を避ける」とも言わないはずです。

もちろん、これは接続詞の使用に関する一つの憶測です。「接続詞をいつ使っていいのかわからない」という声が意外と多くあるのは、基本的な文章に関する教育が十分になされていないことが根本の原因ではあるでしょう。作文と小論文の違いがわからないということも少なからずあるので、接続詞の大雑把な意味や用法を知っていても、「いつ使っていいのかわからない」のはある意味で当然のことと言えます。

公用文などでは接続詞の使い方が厳密に定められていることがあります。しかし、ビジネス文書を含め普段書く文章には、そうしたルールがありません。だからこそ、使用法が悩ましいとも言えます。あくまで正しい意味を理解していることが前提ですが(意味は辞書で調べられますので、気になったら調べましょう)、その上で接続詞をどのように文章で使っていくかは、自分なりのガイドラインを設けるのがいいでしょう。また、その際は、文章の性質(本章では「論理性を求められる文章」と「それ以外」と大雑把に分類しました)に合わせた使用の基準を設けることをおすすめします。

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