万年筆は使えば使うほど、その良さがわかってきます。それと同時に万年筆に対する評価も変わってくるのではないか、と思うのです。それまであまり手になじんでいなかった万年筆が思いの他、使いやすくなってきたり、表面的にしかわかっていなかったその万年筆の本当の良さがより具体的にはっきりとわかってきたります。最近、ある万年筆に対する評価あるいは思いというものが大きく変わる体験をしました。ご紹介したいと思います。
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改めて、万年筆を手放すことができなくなりました。
以前にモーニングノート(※)に取り組んでいることをご紹介しました。モーニングノートは、簡単に言えば、朝起きてすぐに何でもいいから3ページ分の文章を書くという習慣です。3ページ書き上げるのに約30分かかるので、大変と言えば大変ですが、習慣になれば書かないほうが不自然な感じがしてきます。この習慣を紹介している書籍『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(ジュリア・キャメロン著)では、モーニングノートは人が本来持っている創造性を取り戻す効果が説かれています。そのような効果がどれだけ発揮されるかは個人差もあると考えられますが、モーニングノートに取り組むことで少なくとも万年筆を使う機会が増えます。万年筆の愛好家にとっては、万年筆を使うことそのものが一つの喜びなので、モーニングノートは本当に良い習慣だと感じるのです。私は毎朝、万年筆を持って3ページ分の文章を書いています。実のところ、近年は文書作成にPCを使うケースがほとんどになっていました。万年筆を使う機会はなかなか増えなかったのですが、この状況を変化させたのがモーニングノートというわけです。
(※)『ずっとやりたかったことを、やりなさい』によれば、正式には「モーニング・ページ」ですが、私は最初にモーニングノートと勘違いしてそれ以来、モーニングノートと呼んでいますので、ここでもモーニングノートに統一します。
正式に数えていないのではっきりしたことはいえませんが、3ページ分の文章は1000文字はあるでしょう。いずれにせよ決して少なくはない分量の文章を書くわけです。すると、万年筆の特徴や良さがよりはっきりとわかってきます。ほんの少し、1文や2文書くだけでは認識でなかった万年筆の良さが、鮮明に自分自身に伝わってきます。改めて「万年筆は書きやすい筆記具だ」と確信できました。万年筆を使い始めのころ、まだ手書きする機会も多かったころ、なぜ自分自身が万年筆に惚れ込んだのかも思い出すことができました。
長めの文章を書くには万年筆に限ります。「ボーペンもそんなに変わらないでしょ」という声もありますが、大変に書きやすいボールペンがあることを私も知っていますが、私も好んで使うボーペンを持っていますが、それでもなお、やはりボールペンとは異なります。万年筆は紙の上を軽やかに滑ってくれますので、書きたいスピードで文を綴ることができます。文をゆっくり書く分にはボールペンでもさほど変わりはないと思いますが、早く書きたい時、ノッている時は万年筆のスピード感がほしいのです。
使えば使うほど良さがわかり、評価も変わってきます。
正直に申し上げますと、私はスーベレーン(独ペリカン)の書き味はそれほど好きではありませんでした。スーベレーンの持ち味は、ペン先の柔らかさです。柔らかいために、スラスラー、ヌラヌラーとペンが運びます。ほとんど力は必要としません。勢いよく字が書ける。一方で、ペンが滑りすぎるのが難点と言えば難点でした。スラスラー、ヌラヌラーと書くと、必然的に一字一字が大きくなります。このごろはメモ帳に筆記することが多かったので、スーベレーンで書く字はちょっと大きすぎたのです。加えて、考えながら書くことが多かったので、スラスラー、ヌラヌラーでは速すぎる。ゆっくりと書ければそれで十分。スーベレーンの柔らかい書き味は、「ペン先が滑る」という感じに捉えていました。
それが、A3のノートいっぱいに文章を書くようになって、スーベレーンの良さが身にしみてわかるようになりました。特にモーニングノートはあまり考え込まず、頭に浮かんだことを次々と書くことが求められます。そうすると、スーベレーンのスラスラー、ヌラヌラーは強力な武器になるのです。力を入れずに字が書けるので、3ページ書き切っても手がほとんど疲れません。かつての文豪たちが好んで万年筆を持った理由もわかる気がしました。この柔らかい書き味になれると、もはやボールペンを使うことは不可能。先日、うかつにも万年筆を持って行くのを忘れて、ボールペンでノートに字を書くことがあったのですが、あまりにペンが進まないので、ほんの数文字書く間にも苦痛に感じ出しました。万年筆とボールペンはここまで違うのか、と思った次第です。
もしかしたら私は、スーベレーンを含め、万年筆の良さを引き出せいてなかったのかもしれませんね。言い訳めいたことを繰り返し伝えることになりますが、近年は手書きの機会が減っていたので、万年筆の良さを感じる場面も少なくなっていたのだと推察されます。
インクの減りも早くなりました。
A3ノートを3ページも書くので、インクの減りも早く、インクボトルが大変な勢いで空になります。これまではインクボトルは1年1本使い切ればいいほうでしたが、今はまったく勢いが違います。小さいボトルなら2カ月に1本はなくなってしまいます。私は半年で2本インクボトルを空にして、今はペリカンのターコイズをスーベレーンと共に楽しんでいます。色を楽しむことも、万年筆をたくさん使うことでできるようになるわけです。当たり前のことですが。
道具は使うことでその良さがわかる。逆に言えば、使わないことには本当の良さはわからないのです。私がなぜこれほどまでに万年筆に惚れ込んだのか。書くために最適なツールだったからです。20年近く万年筆を使って、なんだか原点に返ってきたような気がしました。
原点に戻らせてくれたモーニングノートもまた、とても有用なツールですね。このタイミングで出会ったのにも何か意味があるのだろうか、などと想像を巡らせてしまいます。ということで、これもまた改めてになりますが、万年筆を使いたい、けれどもこれといった使い道がない場合は、モーニングノートを強くおすすめします。
あとがき
万年筆はやっぱり良いぞ、という思いを改めてつづらせてもらいました。このことは同時に、書くって良いね、手書きって良いね、と言っていることに他ならないと考えられます。私がそうだったように、今は手で字を書くことそのものが、珍しい体験になりつつあります。特にまとまった分量の文章となると、なかなか持つことのない機会なのではないでしょうか。20年30年前は当たり前だった行為が、今は希少な体験となりました。時の移り変わりの早さに驚かされると共に、これから字を書くこと、文章をつづること、手書きの価値が見直され、再発見されていくような気がします。万年筆の愛好家は、古くもありかつ最新でもある価値を楽しむ人たちなのかもしれません。ぜひますます万年筆を楽しんでいきましょう。