書き物でもしようと机に向かったけれども、書き出すことすらできない、というのは往々にして起こり得ます。最初の一文が一番難しいというのは間違いのないことなのですが、実は一文目だけが文章を書き出せないない理由ではないのです。なぜなら、最初の一文以外は書けるのかと言われると、まったくそんなことはなく、序盤・中盤・終盤いずれも書けないことが少なくないからです。要するに頭も紙(またはディスプレイ)も真っ白なわけです。普段仕事で文章を書き慣れているはずのなのに、一文字も書けないことはざらにあります。いったい何がネックになっているのでしょうか。原因を解き明かすと共に対策、書き出しのコツを紹介したいと思います。
外発的動機付けで「書かされる」文章と、
内発的動機付けで「書く」文章。
まずはこれから書こうとする「文章」について理解を深めていただきます。これを知ることで、「文章」がなぜ書きにくいか見えてくるはずです。文章は大きく分類すると、二種類あると考えてください(学術的な話ではありません)。
一つは外発的動機付けで「書かされる」文章で、仕事や試験など何らかの必要に迫れて書きます。つまり、書かされるのです。普段書く文章も目にする文章も、ほとんどは外発的動機付けによるもので、報告書、企画書、案内状、稟議書、始末書などのビジネス文書や新聞記事、コピー(広告文)、説明書、マニュアルなどが該当します。世の中の8~9割の文章が外発的動機付けで書かされていると言ってもいいかもしれません。もう一つは内発的動機付けで「書く」文章で、誰に言われることなく書きます。自分で勝手に書くわけで、個人ブログの文章はこれに当たるでしょう。本ライティング講座でも、今のところ内発的動機付けで書くことを念頭に置いています(今後、ビジネス文書などを扱うかもしれませんが)。
外発的動機付けで「書かされる」文章と内発的動機付けで「書く」文書の違いの一つは、「何を」書くか目的がはっきりしているか否かです。目的があるのは前者のほうで、例えば、報告書なら文字通り報告すべきことを書くのであって、文章に何が求められているかはっきりとしています。極端なことを言えば、求められていることを字にすれば、出来の良し悪しはともかく文章としては完成します。一方、後者は自分で勝手に書くのであって、誰に何も求められていません。自らこれを書く、どうしても書きたい、という欲求がわき上がってこない限りは「何を書いていいかわからない」となるのです。
もう一つ大きな違いは材料、つまり書く素材のあるなしです。前者は基本的に書き始める段階で材料がそろっています。報告書や企画書、案内状を想像するとわかりやすいでしょう。記事を書く場合は事前に取材や調査をしますので、材料がないのに書くということはまずありません。(それこそ、何勝手に書いているんだ、となりますよね)。対して、後者は材料がそろっていないことが多いです。より正確には、十分な材料があるかどうかの判断すらつかないというのが本音ではないでしょうか。
長期的視野で書きたいことを見つける。
「書かされる」文章と「書く」文章の違いを知ることで、なぜ書きにくさを感じるのか、その原因の一端が理解できたと思います。さらにいうと、多くの人は「書く」文章を書いたことがないと推測できます。これまでを振り返って、文章を書かされたことはあっても、自ら進んで書いたことがないという人が多数を占めるはずです。つまり、文章を「書く」経験をしたことがないのであって、文章に対し戸惑いを持つのは当然のことなのです。
では、この状況を打破するにはどうすればよいか。結論からいうと、自分なりのテーマを持つことが解決に繋がります。テーマというと重苦しいので、「好きなこと」や「興味のあること」と読み替えても良いかもしれません。以前にテーマを持つことの必要性を伝えたことがありますが、今回はそのことをもう少し深堀します。
ここでいうテーマは長期的に追及していくものです。文章を書くために何となく見つけたものとは性質が異なります。折に触れて調べ学び、時に実践・体験していく類のものです。文章を書くために持つというよりは、むしろ文章が自分なりのテーマに付随します。対象は何でもかまいません。硬めのものでも軟かめのものでも、大きくても小さくてもいいのです。自分が楽しめて飽きがこないものなら本当に何でもいいと思います。複数持ってもいいですし、何か違うなと感じたら途中で別のものに変えてもいいでしょう。24時間話していても飽き足らないようなものを見つけるのが理想的です。
テーマを持ったら、書きたいことが自然と出てくる
自分なりのテーマを持つと、知識が蓄積され、主張したいことが出てくると思います。きっと一度や二度ではないでしょう。そのたびに、伝達の手段として文章を選び、書きます。同じ主張でも切り口を変えれば何度でも書けます。そもそも主張が一回で十分に通じるということはないことなので、思いが強ければ強いほど、何度でも書きたいという欲求が出てくるはずです。そうなれば、書くことがないということはもう起こらないはずです。
形式はレポート、論文、作文、エッセイなど、自由に選択します。いずれを選ぶにせよ、無理やり書いたような文章とは異なる、熱意ある良い文章が書けるのは間違いありません。もしかしたら、小説や詩などで表現してみたくなるかもしれませんが、それはそれで挑戦してみるのもいいと思います。あるいは、音楽や絵、演劇で表してみたくなるかもしれません。そうなると、もはや万年筆とは関係のない世界に突入しますが、万年筆はなにも原稿用紙に清書をするためだけの道具ではありません。テーマを追求する過程で、発見や自分なりの考えが出てくる時があると思います。そうした時にメモ書きの道具として万年筆を使います。おそらく、想像以上に使う場面は多いと気づくはずです。
最後になりましたが、書き出しの具体的なコツを紹介します。最初のうちは良く見せよう、格好良く書こうという邪念に似た思いを取っ払いましょう。まずは自分の主張(もっとも言いたいこと)を書いてしまいます。例えば、「万年筆はビジネスパーソンにこそ使ってほしい」「万年筆は人生を豊かにしてくれる」「作文は万年筆で書こう」など、自分の言いたいことを書いてしまいます。最初の一文はどうしても変に気負って力みが入ってしまうものです。その力みをなくすためにも、えいやっと書いてしまうのです。さらに、もう一段階上のコツを言うと、自分がどのような文章を書くか、頭の中で概ね構想を練ってしまいます。最初はこれを書いて次はこれを書いて最後はこう書こうと、おおざっぱに決めておくと、不思議と最初の一文を書くプレッシャーが少なくなります。ゴールまで見えているので、一文目はあくまで全体のうちの一つだと受け止めることができるのかもしれません。ただ、全体の構成を頭の中でできるようになるのは、かなり書き慣れてからなので、最初のうちは難しいかもしれません。できる範囲でトライしてみてください。
なお、一文目を書きた後は、(主張)→理由→具体例→主張・未来への決意とつなげるのが基本的な構成です。詳しくはこちらやこちらをご覧いただければ幸いです。
まとめ
今回は、文章の技術的なことより、それ以前の心構えというかマインドのようなものを中心に記載しました。実はこうした、書く以前のことがもっとも大事なことなのではないかと思う時もあります。社会人になると日々に忙殺され、自分が何をしたかったのか、どんなことに興味・関心を持っていたか忘れがちです。しかし、それは日々を漫然と過ごしているのと等しい状態かもしれません。当然、語ることなど持ちえず、書くこともないというわけです。自分なりのテーマを持つことは、大げさに言えば、自分の人生をより豊かにきっかけになると思います。ぜひ見つけていただければと思います。そして、見つけたら、まずは主張を明示し、理由、具体例、主張・未来の決意と続ける構成をご利用いただければ幸いです。